雅人は慌てて追いかける。
転がり込むようにして中に入ると、エレベーターが五階で止まっているのが見えた。考えるよりさきにボタンを連打していた。
蛍光する数字が明滅して減り降りてくる時間すらもどかしい。息を吸うのも億劫に思え、ただイライラとしてボタンをカチカチ鳴らし続けた。
まさかあの森下さんに限ってそんなわけは……そう思えば思うほど苛立ちは募って行くばかり。何度となく苦味のきつい唾を飲み込む。
「真面目な女の子ほど裏で何をしているかわかったもんじゃないわ」
それはテレビドラマによく出てくる無責任な台詞だ。
「可愛いってことはさあー。それだけ男に声をかけられ易いってことだしー。誘惑も多いってことじゃなーい」
そうキャハハと笑うクラスメイトはナンパとは無縁そうな顔をしていた。雅人はその女子の名前を覚えていない。
著しいモラルの低下を指摘されるこのご時世、雅人の周囲にも援助交際をしていると思しき女子がいなかったわけではない。只でさえ異性や性に対する興味が旺盛で、遊びに出かけるのにも、携帯電話の料金や洋服を買うのにも、親から貰うお小遣いだけでは到底足りない年頃なのだ。教室ではまるで自慢するように猥談をする女子グループもある。
郷愁を誘うオーソドックスタイプのセーラー服、それなりの進学校として有名な青葉台高校の女子生徒はその筋においても人気が高いらしく、相場は四万円を下らないらしい。変にリアリティのある数字だと雅人は思う。
しかし、そんな自分自身の尊厳を軽んじるような如何わしい行為を行うのは極一部の限られた女子生徒のみで、教師からの信頼も厚い優等生でもある茜には無縁な世界だと、雅人は疑う事すらありはしなかった。
茜は誰よりも元気な笑顔の似合う、明るく優しい学校中の人気者――――。
ドアを押し開けるようにエレベーターから躍り出ると、雅人はキョロキョロと廊下を見渡した。
赤い絨毯に白い壁と天井。ダークブラウンのドアには無機質に部屋番号が打たれ等間隔に並んでいる。その全てが閉まっていて、肝心の少女がどの部屋に入ったのか見当もつかない。
「どこだ。どの部屋なんだ」
逼迫した自問自答を吐き捨て、雅人は近くのドアをドンドンと叩いた。
「開けろ。開けろよ。開けないと蹴破るからなっ!」
金色のドアノブをガチャガチャひねる。
しばらくするとドアがスーッと開き、中からパンチパーマの男が全裸のまま姿を現した。
血走った眼。病的な青白い肌の腕から肩口、恐らくは背中に掛けて嘘のように色鮮やかな入れ墨が目に入る。
男は口端から泡のような涎を垂らし尋常ならざる形相で雅人を睨みつけると「なんやワレッ。ええとこ邪魔しくさって!」とドスの効いた声を廊下中に響かせた。
「へ、部屋を間違えましたすみません」
舌を噛む勢いで早口に謝り、雅人は後ろも振り返らず逃げ出した。エレベーターホール横の階段へと隠れる。
「やべー、完璧にヤクザだよ……入れ墨はじめてみたし……」
手の甲で冷や汗を拭う。その場にずるずると背中からしゃがみ込むと、雅人はほとぼりが冷めるのを待つことにする。
両手で頭を抱え込む。
今、森下さんはどうしているだろうか……。部屋の中で男に抱き締められてはいないだろうか。キスを迫られてはいないだろうか。制服の上から胸を揉まれてはいないだろうか。スカート中を触られていないだろうか。服を脱がされ変な格好をさせられ、いやらしい写真やビデオとか撮られていないだろうか。
もしも相手の男がさっきのヤクザのような男ならば、危ないクスリを打たれ、若い体を散々嬲られた上に、体の一部にヤクザ者の情婦となった証である椿の入れ墨とか彫られはしないだろうか……。まさかそんな事は……森下さんはそんな世間知らずではないはずだ……。
雅人は邪念を振り払う。
しかしこうしている間にもスーツ姿の男に何か如何わしい事を迫られているのだけは間違いない。ここはラブホテルなのだ。連れ込まれた少女に逃げ場などない。
再び廊下へと身を乗り出した。
さすがにもうドアを叩いて見分する勇気はない。ヤクザでなくとも先ほどのように恐い人種の人間が出てこないとは限らないのだ。仕方がないので一つ一つのドアに耳を押し付け、部屋の中から漏れ聞こえる物音に側耳をたてる事にした。
最初のドアからは激しく喘ぐ女性の声が聞こえてきた。それに被さるように野太い男の声と、パンッ、パンッ、という肉のぶつかるも……。女性は男に強要されているのか淫らな単語を連発している。
「もっとっー、もっっと強くぅぅっ、あたしを激しく突いてっっ」
「へへ、今日はやけによく啼くじゃないか」
「いきそうよ、あなたっ、ああっ、いきそうなのっっ……」
女性の声は金切り声のように高く、聞けば必ず聞き分けられる茜の声には似ても似つかない。
しかし、若い雅人の脳裏に妄想という名の翼を与え欲情の空へと高く飛翔させるには十分だった。
(森下さん……)
想像の中の茜は全裸に剥かれていた。
裸のままベットの上に四つん這いにさせられ、背後から好色な中年男性に深く貫かれていた。しなやかなその背中を弓なりに、圧し掛かった男が獣のような荒息を撒き散らしている。男の顔の前では汗の浮いたうなじと黄色いリボンのロングポニーテールが、猥褻に繰り出されるリズムによって押し寄せる波のようにうねっていた。
不思議な事に、茜は「あんっ、あんっ」と艶やかなAV女優さながらに啼いていた。
(森下さんは処女じゃないんじゃ……)
上空の冷気にあてられ妄想の翼が萎む。その可能性は否定できない。雅人は奥歯を噛み締めた。
(森下さんも高校二年なんだしラブホテルがどういう場所かぐらいは知っているはずだよな……しかもそそくさと隠れるように入って行ってたじゃないか……)
あれはラブホテルに入り慣れている風だと考えられないだろうか。そうするとやはり茜は非処女で、かなり前から援助交際をしていたという事になる。
(そんな馬鹿な事が……あるわけ……)
胸の高鳴りが急スピードで早まる。
最近、写真部が極秘裏に主催するブロマイド販売会に、部活中や授業中、はたまた通学風景を隠し撮りした普通な写真に混じって、シーツに包まった茜がベットの上で中年男と並んでにこやかにピースサインをしている写真を見つけた。
他にも体操服姿の茜が男の上に跨り腰を振っている写真や、情事を終え気だるそうにしている茜の顔に男が精液をふりかけている写真も……。
その時はどうせ写真部のマニアックな奴が作成した合成写真だろうと気にも留めなかったが、今思い返すと計り知れないほどの真実味がある。
無論、合成写真などパソコン一台あれば簡単に作れるし、実際に一目でそれだと分かる、茜やかすみ、波多野葵、瑞木あゆみ、風間こだち、君子ら男子に人気のある女子生徒をモチーフにした猥褻なコラージュ写真が恒常的に販売されているから鵜呑みには出来ないが……。
(あんなのゼッタイ写真部の悪戯だ。森下さんのコラージュ写真なら高く売れるからって捏造したに決まってる。頼む、俺が助けに行くまで無事でいてくれ、森下さん……)
そう願いつつ雅人は次の部屋のドアに聞き耳をたてる。
もしかしたらあれは見間違いではないのか。茜はこのラブホテルに入ったのではなく、男は父親か親戚の叔父さんで近くの喫茶店に入っただけなのではないだろうか。それを自分は見間違えただけで……いや、そもそもあれは森下茜そっくりな少女でまったくの別人だったのでは……。
そんな藁にもすがる思いの希望的憶測を無数に泡沫させる。
二つ目の部屋の中からは物音一つしなかった。どうやら空室のようだ。
「クソッ、どこなんだっ」
雅人は舌打ちした。
時間だけが刻一刻と過ぎていく。すでに茜とスーツ姿の男がホテルに入って二〇分は経っただろうか。
三つ目の部屋からはテレビの音が聞こえてきた。どうやら男女の行為を終え、気長な至福の一時を過しているようだ。
「ダメだ。このままじゃ埒が明かない」
雅人はドアから耳を離して頭髪を掻き毟った。何か手がかりはないか改めて周囲を見回す。
この階だけで二〇室はあるだろう。全てのドアに耳を押し付け音を確認していたのでは、それこそ全てが終わってしまう。仮に茜がいる部屋に聞き耳を立てたとしても、肝心の声が聞こえなければ判断のしようもない。
(落ち着け、落ち着くんだ……こういう時は焦るのが一番まずいんだ……)
親指の爪を軽く噛んで見上げた先、非常口を指し示す緑色の蛍光看が見えた。
その隣に不気味光る物体がある。
「……あれは……防犯カメラ……そうだっ」
独白するなり雅人は階段を二段飛ばしに駆け下りる。自分が制服姿なのも構わず管理人室のドアをけたたましく叩いた。
「すいません。すいません。僕の知り合いの女の子が悪い男に連れ込まれたんです」
多少の嘘や誇張は緊急事態だけに止む得ない。大げさなぐらいな方がいいし、なりふりなど構っていられない。
もしかすると雅人はつまみ出され追い返されるかもしれない。警察を呼ばれ補導されるかもしれない。それぐらいの覚悟はあるし、少なかざるリスクを背負う必要もある。
むしろ警察を呼ばれたら好都合だ。未成年者がラブホテルにいると分かれば淫行条例に引っかかり管理責任を厳しく問われる。そう考えると雅人の訴えは軽々しく無視できないはずだ。
「誰か居ませんかっ。誰か居ませんかっ」
予想に反し切羽詰った雅人の声に対するドアからの反応は皆無。恐る恐るドアノブに手をかけると管理人室の中はもぬけの殻だった。
そんなバカなっ、と雅人は歯噛みした。
オート化された最近のラブホテルなどは部屋の清掃員を除いて少人数で運営されているとは聞いていたが、まさか管理人がサボタージュしているとは普通の高校生である雅人には想像すら出来なかったのだ。
管理人にすればサボっていようがいまいが要はバレなければ給料は変わらない。
ラブホテルなど派手なネオンで煌びやかに喧伝し、清潔なシーツと広いバスルームを用意してさえいれば黙っていても客は次から次へとやってくる。潤うのは資本家であるホテルのオーナーなのだ。
「なんだよ、なんだってこんな時に……世の中腐りきってやがるっ」
せめて茜の連れ込まれた部屋番号さえ分かれば……雅人は無実の罪の壁をどこまでもしたたかに叩いた。
「こうなったら火災報知器のボタンを押してでも……」
最後の考えに至りボタンを探す雅人の前、仰々しく並べられたモニターが目に入ってきた。
各階の廊下やエレベーターの中、駐車場の風景。驚いたことに部屋の中の映像までが映っていた。
落ち着きなく目を走らせると、その中の一つに見逃しようのない少女の姿があるではないか。
森下さん――――
次の瞬間、雅人は自分の目を疑った。